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個人誌的ブログを試行中…ショートショートや読み切り童話など

【童話】と【絵本】の違い

小説の「縦書き」と「横書き」について、前の記事で記したが、「縦書き」か「横書き」かで、顕著な違いが現れるのが絵本で、縦書き(右開き:右から左へページが進む)か横書き(左開き:左から右へページが進む)によって、これは文章よりも絵が大きく影響を受けることになる。
「縦書き」と「横書き」で大きく違う【絵本】と、しばしば混同される【童話】について、10年以上前に別のところで記した僕の考えをあらためて──、
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僕は【童話】を書いているが、【絵本】は描いたことがない。なのに「絵本を描いている」と思われることがある。挿絵と文の両方を描いた本があるから、これが【絵本】にあたると判断されるためだろう。
挿絵の比重が大きい【童話】は一般の人には【絵本】と同じように見えてしまうのかもしれない。

しかし、書き手の側からすると──少なくとも僕は、【童話】と【絵本】を一緒くたに扱うことには違和感がある。【童話】と【絵本】は、発想において全く別モノ──という意識があるからだ。
簡単にいえば【童話】は小説の1ジャンルであり、文章によって構成される芸術形態。【絵本】は場面(見開き)ごとに構成される視覚的な芸術──紙芝居に近いといえるかもしれない。
【童話】を書く場合、量(枚数制限など)は意識しても、基本的に展開は小説とかわらない。【絵本】の場合はまずページ数(見開き数)──場面数から逆算して物語の展開が作られることになるのだろうと思う。漫画のコマ割り・ネーム作りに近い創作行程かもしれない。

本質的には「文と絵の(分量的な)比率」は関係ない。
絵の占める割合がどんなに多く、本文がどれほど少なくても【童話】は童話。挿絵がなくても小説として成立しうる(文章だけで独立して読める)作品はそう呼べる。また逆に極端な話、挿絵がまったく無くても、見開きの場面ごとに構成された物語は(創作上では)【絵本】といえるのではないか──と僕は考えている。

【童話】は場面数にしばられないが【絵本】の構成は場面数を基に考えられる。挿絵の部分については判型も関係してくるだろうし、右開きか左開きかにも大きく影響を受けることになる。
本文が縦書きの絵本なら、本文は右頁から左頁へと読み進められる関係から、描かれる絵の展開も右から左へ向かうことになる。登場人物たちが歩いていくシーンは左向きになるのが自然だ。逆に本文が横書きの場合は本文が左頁から右頁に読まれていく関係で、登場人物たちも右向きに進行していくことになる。

【絵本】が右開きか左開きかにも影響されるという実例にこんなエピソードがある。以前、某児童書出版社で外国の絵本を翻訳・出版することになった。英文で書かれた横書きの絵本を、そのまま横書きの日本語訳で出版すれば問題なかったのだが、一冊だけ新しい企画の本を出すより、すでに浸透しているシリーズ(縦書きの絵童話シリーズ)に入れて出した方が良いという営業的な配慮が働いたのだろう──オリジナルは横書きだった絵本を縦書きに組み替えてしまった。しかしそうなると絵だけを元のまま場面ごと収めてみても、しっくりこない。本文の進行方向がオリジナルの英文では「左→右(横書き)」だったのに翻訳版で「右→左(縦書き)」に変わってしまったために、挿絵の登場人物の進行の流れと逆向きになってしまったためだ。それならば、挿絵の向きも逆にしてしまったらどうだろう──ということで、なんと原画の左右を反転させることを検討したというのだ。「そうしたら、絵に描かれていたアルファベットまで反転しちゃったんで困った」なんて話を編集者から聞いたことがある。

しかし、創作する側から言えば、描かれた絵を反転させて起こる弊害は、たまたま描かれていたアルファベットが読めなくなるという次元の問題ではないだろう。画面(見開き)のレイアウト──絵の構成や文字の配置は読みやすさ見やすさを計算した上で決められたわけで、左右を反転させて線対称にバランスが保たれたから良いと言うものではない。
通常「絵は左、文は右」に配置した方が見た目は安定する──これは右脳と左脳の働きによるものなのだろうが、そんな知識はなくても、絵本・新聞・ポスターなどを見なれた人なら経験的にそれを知っているはずだ。左右をそのまま反転したのでは、印象は異なるものになり、作者の空間配置の計算は崩れてしまうことになる。

もっとも、このエピソードで問題になったのは【絵本】の「絵の部分」についてで、本文については「右開きか左開きか」で影響を受けることはなかっただろう。しかし、もし、ページ数(場面数)の変更があれば(総文字数に変更はなくても)、厳密にいえば作者は本文にも手を入れたくなるのではないかと思う。
また、余談だが、今後電子出版のようなものが普及していけば、右開き・左開きの制約を受けない絵本の可能性(同一作品の中で登場人物らが左右同等に進行できる)──みたいなものが追求され、「右開きでも左開きでもない」(紙芝居式?)展開の絵本、その特徴を活かす発想の原文が書かれる──なんてことも当然あるのではないかと僕は考えている。

このように【絵本】の創作には多分に視覚的な要素が伴う。【童話】を考えるのとは基本的に創作思考プロセスが異なるものだ──というのが僕の感覚だ。【童話】を考えているときと【絵本の文】を考えているときの脳の活性を調べたら、違いがでるのではないか……なんていう気もする。

ただ、もちろん、【童話】と【絵本】は相反するものではない。
文章のみでも優れた【童話】として成立する作品が、同時に【絵本】としても優れている例はままあるし、出来上がった作品が必ずしも【童話】か【絵本】かのどちらかに区分される──というものでもないだろう。
しかし、一般的には【童話】と【絵本】の違いというのは明確でなく、その本やシリーズを書店や図書館のどの棚に置くか──便宜的な判断で分けられていることが多いような気もする。

混同されがちな【童話】と【絵本】について、僕はそんなふうに考えている。

 

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小説の「縦書き」と「横書き」

僕はファッション感覚ゼロで、自分のオシャレには全く関心がないのだが……自分が作っていた個人誌の誌面やブログの画面の見映えは気になる性分だ。Yahoo!ブログでは昆虫の記事が多かったが、視覚的にわかりやすく画像を加工したりキャプションを加えたり、文章との兼ね合いなどを意識しながら記事を投稿していた。これも、(自分がどう見えるかは気にしないが)自分が作ったものが、どううつるかは気になってしまうからだ。

ブログに文章をあげる場合も、日本語で書かれた創作文芸系の作品は「縦書き」の画面の方がしっくりくる──という感覚が僕にはあるので、わざわざ縦書きの画像で投稿している。
今では多くの人がパソコンを使い、横書きで小説等も描いていると思うが、おそらく原稿用紙に縦書きで書くことをしていた人と、はじめから横書きでタイプしている人とでは、文章感覚のようなものに違いがあるのではないかという気がする。

パソコン画面を見ながら文章をタイプするときの、段落づくりや改行のタイミング、画面上の文章の塊から生まれるリズムは、縦書きの原稿用紙のそれとはずいぶん違う。原稿用紙でそうした文章の呼吸をつかんでいる人は、横書きでタイプしても体にしみこんだリズムが崩れることはないだろうが、初めから横書き画面で文章づくりをしている人は、横書き表記の呼吸が身に付いてしまうのではないか……という気がしないでもない。それがいいとか悪いとか言うつもりはない。文章の巧い下手とはまた少し別のものだろう。ブログで横書きの小説を読んでいると、「これは、横書きに慣れた人の文章だな……」と感じることがあるというだけの話。

僕は原稿用紙世代だったので、ワープロ専用機やパソコンを使うようになっても、創作作品は縦書きになることをイメージしてタイプしていた。この文章のようにブログで横書きで投稿するものと、縦書き用文章は明確に分けてタイプしている(横書き用は段落の1文字目を空けず、段落間に1行空きを設ける頻度を増やす・など)。
だから、縦書きを想定して描いた創作作品を横書きで披露することに違和感がある。
オシャレには関心がないが、ブログ画面の見映えには関心がある僕は、それでわざわざ縦書き画像を作って投稿しているしだい。

縦書き画像をつくるさいに、空きスペースがあると気になり、タイトル幅を調整したりカットやコラムで埋めて画面(誌面?)の体裁を整えたくなってしまうのは、同人誌や個人誌を作っていたからだろう。

そんな理由で縦書きにしたショートショートや読み切り童話などの一覧は⬇

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病院跡の座敷童子

遊んでいる仲間が、いつの間にか1人増えている……なのに増えた子が誰なのかわからない!?──座敷童子の正体とは!? 原稿用紙で20枚半ほどの読み切り児童小説。

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四百字詰め原稿用紙(20字×20行)換算20枚半。朝日小学生新聞に1994年12月17日〜12月25日に短期連載した作品をまとめたもの(掲載時は季節を考慮してアカトンボの件は雲の描写に変えてあった)。朝日小学生新聞でのタイトルは『病院跡のざしきぼっこ』と「座敷童子」はかな表記だった。
《遊んでいるといつのまにか1人増えている──なのに、それが誰なのかわらない》という座敷童子現象(?)。この不思議な現象をどう解釈すれば成立しうるのか──という謎解き(?)が着想のきっかけとなった作品。

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小説版『ミラクル☆スター〜復活篇〜』

※内輪ウケ狙いのジョークで書かれた番外的作品です。

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(1)悪島の反乱

 夜の闇をヘッドライトの光でなぎながら、一台の車が走っている。
 きれいに舗装された道路の両脇には、広々とした空間が続いているばかりである。
 後続車もなければ、すれ違う車もない。
 一見、観光シーズンをはずれた高原道路といった景色であった。
 しかし、そこはビルのひしめく都心から、いくらも離れていない場所──星谷邸の敷地の中であった。
 雲の間から満月が顔をのぞかせ、車のボディが月光を受けて鈍い輝きを放つ。
 星谷を乗せて走るリムジンのシャーシは純金製であった。
「玄関を出てから1時間か。そろそろ門が見えてきてもいい頃だな」
 リアシートに体をうずめていた星谷は、ダイヤをちりばめたプラチナの腕時計に目をやりながら、つぶやいた。
 童話の世界に次々とベストセラーを送り出し、一方、テレビや映画などの映像分野に進出し、そこでもSFヒーロー・アクション物ブームを巻き起こして、巨額の財を成した星谷は、日本の中心に太平洋と日本海を同時に有する大邸宅を構えていた。
 ふだん家の外へ出かけるときには、自家用コンコルドを使っているのだが、この日──昔の同人誌の仲間たちと久々に顔を合わせる今夜ばかりは、おかかえ運転手の運転する金のリムジンで出かけることにしたのである。
「漁人(すなどりびと)のメンバーが集まるのは、13〜14年ぶりになるか……。なつかしいなぁ……」
 星谷がつぶやくと、ハンドルを握っていた悪島が、「まったくで」と答えた。
 この悪島という男は、つい最近まで葛飾の首領として君臨し、悪事の限りを尽くしてきた。正義の戦士ミラクル☆スターである星谷との闘いに破れ、尾てい骨を砕くというひん死の重傷をおったのだが、星谷のキリストのごとき捨て身の慈悲によって命を取りとめ、それ以来改心して彼のおかかえ運転手をつとめていたのである。悪島もまた、かつての同人誌《漁人(すなどりびと)》のメンバーであった。
「変電所が見えてきましたから、門までもうひとっ走りでさぁ」
 悪島が窓の外をあごでしゃくるようにして言った。
 月光を浴びてひっそりとそびえ立つ鉄塔には、どこか威圧的なムードがあった。
「夜、あの鉄塔を見ると、どうも不気味でいけねぇでさぁ……。いったい研究所では何を作ってるんですかい?」
 星谷邸の敷地の中には、テレビや映画の撮影セットや研究所・工場のような電気を食う施設がいくつか点在している。
「今はSFヒーロー・新シリーズの『メタロイドZ』で使う《ランドホーク》を作っているところだ。反重力・無慣性推進式のオートバイのような乗り物だな。『スター・ウォーズジェダイの復習』にでてきた《スピーダー・バイク》という乗り物にシャープなカウリングをつけたものだと思えばいい」
「へへぇ。しゃれたもんですねぇ」
 悪島が答えたときだった。とつぜん変電所のかげから人影が現れ、ヘッドライトの中に飛び込んできた。
「ぎょえっ!」
 ブレーキを踏む暇もなかった。人影はボンネットの下に吸い込まれ、ゴト・ゴトン! とリムジンの柔らかめのサスペンションがはね上げられた。
「チクショウ! やっちまった!」
 車を止め、窓の後方をのぞき込むと、闇の中に男がボロ切れのように倒れていた。
「ああ、なんてこった! こんなところで人をひき殺しちまうなんて! 運転免許を取り上げられちまったら、おマンマの食い上げだぁ〜」
 悪島は赤く縮れた髪の毛の中に指を突っ込み、ハンドルに額を打ちつけた。
「まて、悪島! 動いた……まだ死んではいないぞ!」
 星谷が言うと、悪島は「えっ!? ほんとですかい?」
 運転席から身をよじるようにして、リアウィンドウをのぞき込んだ。
 倒れた男の体がわずかに動くのが確認できた。
 次の瞬間、急にリムジンがバックを始め、星谷はシートから転げ落ちそうになった。
「な、なにをする!?」
 車は急加速しながらバックを続けた。
 ゴトゴトン! ガガガガガン!
 車体とアスファルトの狭い隙間を人間の体が、あちこちにぶつかり引っかかりしながら転がっていく振動が、床ごしに伝わった。
「悪島! なにをするっ!?」
 星谷がどなると、悪島はギヤーを入れ替えながら答えた。
「決まってるでしょうが。とどめをさすんでさぁ」
 止める間もなく、リムジンは急発進し、みたび足の下をいやな音が走り抜けた。
「やっこさん、デフに頭をひっかけたな」3度目の音に満足そうにうなずくと、悪島はホッとしたように言った。「このくらい念入りにやっておけば、やっこさんも証言するわけにゃぁいかんでしょう。もう安心でさぁ」
「なな、何が安心だっ! なんてことを……やつが証言できなくなっても、私が証言しないわけにはいかないじゃないか!」
 悪島はリアシートをふり返り、こころもちのけぞるようにしながら目を見開いた。
「そ、そんな、殺生な……だんなが、まだ死んじゃいないっていうから、とどめをさしたんじゃねぇですかっ!」
「だれも、とどめをさせなんて言ってはいない!」
 悪島は困惑した顔で、しばらく絶句していたが、やがて不適な笑みを浮かべた。
「それじゃあ、だんなにも証言できなくなってもらうしか、ありませんねぇ」
「なにっ!? まさか、悪島おまえ……」
 悪島はアクセルをいっぱいに踏み込み、リムジンを急発進させた。
「こないだはミラクル☆スターに不覚をとったが、こんどはちぃとばかり事情が違っているからな」
 豹変した悪島は、言葉遣いまで変わっていた。「ミラクル回路を失って、おまえはもうミラクル☆スターに変身できねぇ。もう、俺様の邪魔はさせねぇぜ!」
 ハンドルが切られ、フロントガラスに変電所の建物がせまった。
「アディオス、アミーゴ!」
 悪島は腹のでた体形からは想像もできない素早さで、走行中の車から飛び出した。
 芝の上で2〜3転した悪島が起き上がったとき、金のリムジンはフェンスを破って、高圧電流の流れる変電所につっこんでいくところだった。
 大きな衝撃音とともに電光が走り、一瞬おいてガソリンに引火した炎が天に立ちのぼった。
「へっ、ざまあみやがれ。俺は、俺より人気のある奴が許せねぇんだ。いつか、きさまを失脚させてやろうと、機会をねらっていたんだ」
 ネアンデルタール悪島は、服についた芝を払うと、ゴリラのように体を揺すり、こぶしをつきながら闇の中へ消えて行った。
     *
 かつての友であった悪島を救うためにミラクル回路を与え、変身能力を失った星谷は、捨て身で助けた悪島に命を奪われた──。
 レ・ミゼラブル! そのような悲劇が存在していいものだろうか!?
 しかし──、高圧電流のスパークする電光の中で、星谷は死んではいなかった。
 変身エネルギーの源、ミラクル回路こそ失ってはいたが、彼のメタルポリマーの体は、数万ボルトの電圧に耐えることができたのだ。
 数万ボルトの電気ショックは、改造人間である星谷の体に思わぬ変化をもたらした。
 その高圧電流は、失われたミラクル回路から生み出されるパワーにかわって、ミラクル☆スターの変身エネルギーに転化されたのである。
 青白いアークに包まれながら体の内にパワーがたくわえられていくのを感じ、星谷は叫んだ。
「ミラクル・チェィンジ!」
 星谷の体の表面を細かい稲妻が網の目のように走り、メタルポリマーの体は、シルバーとブラックのバトル・スーツに変化した。
 星谷は地獄のふちから、ニュー・ミラクル☆スターとしてよみがえったのである!

(2)バー・チャイナ・ランチ・ハウス

 モスグリーンのガラス扉を開けると、店内の喧騒がボリュームを上げた。酒とタバコの香りが扉の外に立った男を出迎える。男は静かに扉の隙間に体を滑り込ませると、ゆっくりと店内を見まわした。
 一等地のバーにしては広い店内を、文芸家や編集者、有名芸能人たちが占めている。
 普段は落ち着いた雰囲気の、いわゆる文壇バー《チャイナ・ランチ・ハウス》も星谷が現れる今日ばかりは賑わっていた。
 ステージの上では薬師丸ひろ子谷村新司とデュエットをしている──と思いきや、男の方は谷村ではなく真津実也だった。英知を感じさせる背後からでも見えるほどの広い額の持ち主である彼は、歌って踊れるSFハードボイルド・ホラー・ギャグ作家として新星のごとく出版界に登場したベストセラー作家である。彼が実は《ミリオンマン》なるスーパーヒーローとして活躍した事件はまだ記憶に新しい。ステージわきの壁に大きなツギが残っているが、それは《ミリオンマン》が初めてその姿を現した時の闘いで作った穴のあとだった。
 男はそのときの情景を思い返して苦笑した。
 薬師丸の肩を抱き、マイクを握った真津実也の後ろで琴の生演奏をしているのはSM雑誌の美人編集長が活躍する異色推理シリーズで一躍脚光を浴びた羽良まち子女史である。彼女のシリーズ第一弾は直木賞に選ばれたが、彼女はそれをあっさり辞退し、MON48賞の授賞式に出かけた話は有名である。片肌脱いで琴をつまびくその背中に、チラリと緋牡丹の刺青がのぞいている。彼女は売れっ子作家としてばかりではなく、ソチラの方面でも《緋牡丹おまち》として名が通っていた。
 ステージの前には流山の生んだサラリーマン小説の父《熊殺しの弍鹿和》や時代物のマツダセイコと読めない事も無い麻津田静子をはじめ、いずれも第一線で活躍しているMON48の豪華メンバーが陣取って、ステージの真津実也に冷やかし混じりの声援を送っている。
 リリカルな動物モノで知られる巨漢の伊枯夕子の隣で美味そうに干し草を食べているのは、乗馬好きの彼女の《愛馬オラシオソ》である。マッドサイエンティスト物のドタバタで名を馳せたドクター矢間多が、《愛馬オラシオソ》を見上げて声をもらした。
「よく伊枯さんを乗せてつぶれないのを見つけてきたな……」
「あたしの一人や二人乗せたくらいじゃ、オラシオソはびくともしないわよ」
 伊枯が体を揺すって陽気な笑い声を上げると《愛馬オラシオソ》は短い首を振り、大きな耳をばさっと動かした。
 MON48のメンバーの隣のボックスには、漁人(すなどりびと)の面々が久しぶりに顔を合わせ、思い出話に花を咲かせている。ボックスの後ろにつながれている白い鹿は久々に上京した古屋部邦子が奈良から乗ってきたものだった。
 鹿の足元に転がっていた黒豆を拾って口に放り込み、戸早士茂がつぶやいた。
「星谷氏と悪島氏は遅いな……」
 二児のパパになった尾沖久夫が腕時計に目をやる。
「星谷は小説『ミラクル☆スター』でK区民を誹謗したとして、K区民から反発を食っているからな。K区の最高指導者・穂姪荷区長がK区民に星谷の処刑を命令したっていうし……なにかあったんじゃないか?」
「まさか……」
 古屋部邦子と鷹端裕子が、心配げに顔を見合わせたとき、世木りえが、入ってきた男に気づいて立ち上がった。羽良女史の琴の音が止むのと同時だった。
「星谷くん!」
 チャイナ・ランチ・ハウスにいた全員の顔が男に向けられた。
 男は照れくさそうに笑みを浮かべ、ステージに近づいて仲間たちを見まわした。
「悪島のやつは?」
「まだ来てないけど……。星谷さんと一緒だったんじゃなかったんですか?」
 鷹端裕子が尋ね返した。
「うん…それが……途中までは一緒だったんだが……」星谷は顔を曇らせ言葉を濁した。しかしすぐに気を取り直したように明るく言った。「いや、せっかくみんなが集まったんだ。今夜だけは楽しくやろう」
 集まったメンバーから歓声が起こった。星谷は満足そうに微笑んでカウンターをふり返った。
「マスター。ペヤングソース焼きそばをたのむ。急いで来たんで腹ペコだ」
「すみません、お客さん。そういったモノはウチには置いてないんですが」
 まだこの店に勤めて間もないと思われるマスターが答えると、店内は一瞬、水を打ったように静まり返った。まるで『白子のり』の世界だった。
 マスターだけがその意味を理解できずに凍り付いた皆の顔をながめまわした。
「ペ…ペヤングソース焼きそばが……」星谷は『信じられない!』といったうふに、のけぞってマスターの顔を凝視した。「な、ない──だと!?」
 見開かれた瞳には、うっすらと涙がにじんでいた。

──《中略》──

 そのとき、チャイナ・ランチ・ハウスの扉が開いて、マスターが顔をのぞかせた。
「あのぅ……ペヤングソース焼きそばを買ってきましたけど……」
「なにっ!?」大きく肩をスイングさせてふり返った星谷の顔が、みるみるほころんだ。
「いやぁ〜、ごくろうさん、ごくろうさん」
 星谷は満面に笑みをたたえて、マスターの手からペヤングソース焼きそばを受け取ると、カウンターのスツールに腰掛けた。「マスター、熱湯をたのむ。それから、キャベツをきざんで出してくれ」
 鬼のような殺気が、すっかり消え失せていた。
 張りつめた緊張が一気にほぐれ、ため息とともにざわめきが店内に戻った。──《略》──
「星谷さん。まずかったんじゃない?」
 ソース焼きそばのフタを開け、具とソースを取り出していた星谷の隣に真津実也が掛けながら言った。「今のは、ちょっとやりすぎだったよ」
「なあに、かまわんさ」
 星谷は平気な顔で具を麺の上にあけていた。マスターが、きざんだキャベツを持ってくると、具の上に置いて熱湯を注ぎ、フタをすると得意げに言った。
ペヤングのエキスパートは、独自の工夫を加えて、自分の味を作るものなのさ。それがツウってもんだ」
 真津実也はハッとペヤングカップに目を落とし、一歩退いて星谷をながめた。
「……あんたは、星谷さんじゃない! 何者なんだ!?」
 MON48、漁人のメンバーをはじめ、店内全員の注意が再び星谷に集中した。
「な、なにを言うんだ。やぶからぼうに……。僕は星谷だよ」
「星谷さんは、ペヤングソース焼きそばは完成された商品だから、不純物を入れて調理するなど、邪道だと主張していた人だ。キャベツなんかを入れるはずがない!」
「う……い、いや、それは……調理の仕方なんて、その時の気分によって変わるものだよ」
 真津実也はじっと探るように星谷をうかがいながら言った。
「それじゃあ、問題をひとつ解いてもらおう。4桁の数で、前半の2桁と後半の2桁の和を二乗したものが、もとの数に等しい三つの数は? 知能指数が300以上という星谷さんなら解けるはずだ」
 皆の視線を集め、星谷と名乗った男は、カウンターに置いた手を握りしめた。
「2025、3025、9801」
 解答は意外にも真津実也の背後から告げられた。
 店の中の焦点が、一気に声の主に移動した。
 カウンターの反対隅にサングラスをかけた男がひとり、メロンジュースをすすっていた。
「せ…正解だ。すると、あなたは──」
 サングラスの男はストローの先をもてあそびながら言った。
「やつも、つまらんところでボロを出したな。たしかに真津実也氏の言うとおり、星谷氏ならペヤングカップに他の具を入れる事などすまい。それに、見よ! カウンターの上に放置されたソースを!」
 男はソースの入ったビニールのパックを指差した。「低温の場所に置かれたソースは油が分離してしまう上、粘度も高くなってしまうため、どうしても麺にかけるときの切れが悪くなってしまう! プロなら、湯を注いでフタをした直後、ソースのパックをフタの上に乗せて温めておくものだ!」
 男はサングラスをとって、端正な顔をあらわにした。
 店内を「おお!」というざわめきが駆け抜けた。
「星谷さん!?」

(3)悪夢ふたたび

「ほ、星谷さんが、ふたり……」
 4歳と1歳の子供を胸と背にくくりつけた志見津末子が、二人の星谷を交互に見つめた。
「そろそろ正体を見せたらどうだ」問題に答えた方の星谷が言った。「俺に化けて悪事をはたらき、俺の名声を地に落とそうとした──お前の企みは、もうわかっているんだ」
「ふん。まだ生きていやがったのか。お前に化けてここに来れば、どんな美人女優とでも親しくなれて浮気が出来ると思ったんだが……くそっ!」
 邪道のペヤングを前にしたニセ星谷の口元が三角にゆがむと、髪がざわざわと逆立ち始めた。1本1本が生き物のようにのたくりチリチリと赤く縮れてゆく──まるで頭全体がイトメの塊のように見えた。
 ゴボゴボと音を立て、男の顔が膨れ始めた。皮膚の下で沸騰が起こり。無数の泡が次々にはじけていくような、いびつな膨らみ方だった。膨らんでいくのは顔だけではなかった。腕も、胸も……特に腹の膨らみ方が著しかった。プチ・プチンとシャツのボタンがはじけて床に転がった。
「ああっ!? おまえは──」志見津忠が声を上げた。「悪島じゃないか!」
 悪島は大きな腹をかかえて志見津に向き直った。
「いかにも。俺はいかなる人物にも変態可能な変態人間──人を憎んで罪を憎まぬ、ネアンデルタール悪島だっ!」
 店内を恐怖が走り抜けた。しかし星谷だけはスツールにかけたまま冷静だった。
「正体がバレたところで、いさぎよく観念しろよ、悪島」
 悪島は不適な笑みを浮かべた。
「せっかく助かった命をわざわざ捨てにくるバカが。無限のパワーを生み出すミラクル回路は、今、俺のものだということを忘れてやしねぇかい?」
 悪島は余裕たっぷりにニタリと笑ってみせた。
「ま、なぁに、今回は俺様がわざわざ手を下す事もなかろう。K区民のみなさん!」
 悪島が叫ぶと、チャイナ・ランチ・ハウスと中華飯店との間の間の壁が、ツギごとブチ抜かれ、隣の中華飯店から、毛むくじゃらの一目で進化が遅れているとわかる、原始人ならぬカツシカンが、なだれ込んで来た。
 カツシカンどもの乱入に度肝を抜かれ、店内の客たちは皆、星谷の周りに逃げ集まった。
 羊の群れのようにかたまる客たちをカツシカンどもがすばやく取り囲んだ。
「アイヤー、チョト、オ客サン、壁カラ出入リ、困ルノコトアルヨ!」
 穴の向こうで、中華飯店の親父がわめいている。「ニポンジン、ナニ考エテアルカ!」
「どうだい。こいつらは野蛮なK区民の中でも、よりすぐりの強者たちでな」
 カツシカンどもの後ろをゆっくり歩きながら、悪島が言った。
「店の客たちに恨みはねぇんだが、俺様の正体を知った以上、生かしておくワケにもいかないんでな。一人残らず死んでもらうぜ」
「そんな、殺生な!」「助けてくれっ!」客の中からヒステリックな声が上がった。
「おおっと、俺を恨んじゃいけねぇぜ。恨むんだったら、俺様の正体を暴露した真津実也と星谷を恨むんだな。さ、K区民のみなさん。星谷の処刑のついでに、皆をいけにえにささげるんだ! 多く殺した奴には、しゃれこうべをくれてやるぞ!」
 しゃれこうべがもらえると聞いて、カツシカンどもの目に殺気が宿った。
 そのとき──、
「待ちなさい! あなたたち!」
 羽良まち子がカラオケ用のマイクを握って、さっそうとステージに駆け上がった。
「みんな聞いて! 私も、都民から『千葉県にしてしまえ!』と言われている《川向こう》のE区に住んでいる者よ。しかし、私は思うのです! そんな生い立ちに負けてはいけないのだと! たとえ見かけは猿であっても、皆さんの心は人間のはずです! 無意味な殺戮に手を貸せば、あなた方は、人間である最後の砦──《人の心》さえをも自らの手で葬ってしまうことになるのですよ!」
 さすがに学生時代、弁論部に籍を置いていただけあって、羽良の弁舌には熱がこもっていた。しかし、悲しいかな──カツシカンにとっては、人間である事よりもしゃれこうべの方がはるかに魅力があったのだ。羽良の言葉に耳を傾けるカツシカンは一人もいなかった。
 客の群れを取り囲むカツシカンどもの輪が、徐々に狭められていった。
 動揺する客たちの中心で、星谷はスツールに腰掛けたまま、メロンジュースのストローに唇を当てた。
 と、ふいに彼はくわえたストーローをグラスから引き抜き、その先端を古屋部が奈良から乗って来た鹿に向けた──。
 フッ! とストローから何かが飛び出した。星谷は皆が気づかぬうちにストローに楊枝をしこみ吹き矢のように飛ばしたのである。
 宙を走った楊枝は鹿の尻に突き刺さり、飛び上がった鹿は、そのまま走り出して伊枯の《愛馬オラシオソ》の尻にツノをめり込ませた。
《愛馬オラシオソ》が長い鼻をふり上げて「パロロロロォ〜!」と絶叫した。
「パロォ〜! フォロロロロォ〜!」
 反り返った長い牙で大理石のテーブルをひっくり返すと《愛馬オラシオソ》はカツシカンどもを蹴散らし、壁をブチ抜いて隣の中華飯店に駆け込んだ。
「アイヤ〜! ニポンノ馬、シッポノ形ガ、チョト違ウ」
 中華飯店の親父が跳びのきながら叫んだ。
 カツシカンの混乱のスキをついて星谷はスツールをすべり降りていた。
「今だ!」
 真津実也も懐に隠し持っていたミリオン・スーツをひろげ、ミリオンマンに変身しようとした。
 同時に羽良も動いていた。《愛馬オラシオソ》に気を取られていたカツシカンの脳天に琴の一撃を振り下ろして引き倒すと、持っていたマイクのコードで瞬く間に縛り上げた。
「もがけば、もがくほど絞まるわよ!」
 亀甲縛りになっていた。彼女は縛り上げた男のベルトを引き抜き、背後から襲いかからんとするカツシカンの頬をムチ打った。
「女王様とお呼びっ!」
 真津実也は一度はいたミリオン・スーツが後ろ前だったことに気づき、あわててはき直しているところだった。
 膝までスーツを引き上げたところでバランスを失い、けんけんをしながら前のめりにつんのめったところをカツシカンどもに寄ってたかって取り押さえられてしまった。
 悪島が床にはいつくばった真津実也から、ミリオン・スーツを剥ぎとった。
「むひひひひ! ついに手に入れたぞ! ミラクル回路とミリオン・スーツ──この2つさえそろえば、俺様は無敵の王者だ!」
 前回の闘いで悪島は、このミリオン・スーツを装着した真津実也にカンフーで倒されていた。
「そうはさせんぞ!」
 真津実也は懸命にカツシカンどもを振り飛ばし、立ち上がって身構えた。悪島がミリオン・スーツを装着する前にとり返さなければならなかった。
 悪島につかみかかろうとした真津実也の体が、見えない壁にはね返されたようにフワリと後方にはね飛ばされた。浮き上がった体は重力を失ったかのように見えたが、床にたたきつけられた音は充分重かった。
 真津実也が腹をおさえ、『信じられない』といった顔を上げた。
「は…発勁か……」
「フフフ……俺様が発勁を使うとは思わなかったようだな」
 発勁とは、体内に凝縮した《気》のエネルギーを爆発的に放ち、相手にダメージを与えるカンフーにおける究極の奥義である。
「俺は、こないだのミリオンマンとの闘いで、カンフーの強さを思い知らされた。そして、あれから秘かにカンフーを学んでいたんだ」
 悪島は動く事のできない真津実也の前で、ミリオン・スーツに腕を通しながら言った。
「さいわい、俺の体内にはミラクル回路があって、カンフーの達人が何十年かかってもモノにできないほどの《気》を簡単に作り出すことができてな。発勁を使えるようになるまで、いくらもかからなかったぜ」
 真津実也は唇をかんだ。「くそっ! そんな奴にミリオン・スーツを奪われるとは……」
 一方、羽良の方はベルトのムチを駆使して善戦したが、多勢に無勢──けっきょくカツシカンたちに取り押さえられ、悔しそうに平底の履物を蹴り飛ばした。
「ハイヒールを履いていたら、お前たちなんかに負けやしないのに!」
 MON48のメンバーの中では一番頼りになると思われていた《熊殺しの弍鹿和》は酔いつぶれて床で眠っていた。
「さわぐなっ! 言うことをきかねぇ奴は、耳からストローを突っ込んで脳みそを吸い取るぞ!」
 悪島のドスの利いた声が響きわたり、店内の客たちはすくんで静かになった。彼らは怯える羊たちのように一かたまりになってカツシカンどもに再び取り囲まれた。
 怯える客を楽しむように悪島は一人ひとり眺めまわし、真津実也に身をすり寄せている薬師丸ひろ子のところで目をとめた。
 悪島は薬師丸に歩み寄って、その小ぶりな顎に指をあてて上を向かせた。
「やめろ! 彼女にさわるな!」
 真津実也が立ち上がろうとするのをカツシカンが押さえ込む。悪島はそれを無視して薬師丸の顔をのぞき込んだ。
「ほほう。なかなかの美人じゃないか」悪島はニタリと口元を三角の笑みを浮かべた。しかし、その顔はすぐに憎しみにゆがんだ。「俺様はな、俺のヨメより美しい女が存在している事が許せねぇんだ!」
 それは、この世の全ての女性を許せないと言っているのと同じだった。
 悪島はクイズの問題を読み上げるように言った。
「俺様のヨメより美しい女の存在を否定する方法は──、
(1)死んでもらう。
(2)醜い顔になってもらう。
(3)俺様の新しいヨメになってもらう。
俺様は心の広いネアンデルタール人だ。どれでも、おまえの好きな答を選んでいいぞ」
「そ、そんな──」
 身を引こうとする薬師丸の腕を、悪島がぐいとつかんで引き戻した。
「さあ、どうする! 俺の新しいヨメになるか? それとも、この美しい顔を切り刻んでほしいか?」
 悪島はテーブルの上にあったホワイトホースのボトルを握り、テーブルのふちに叩き付けて割ると、その割れ口を薬師丸の顔の前にもっていった。
「こらぁ! なんてこと、しやがる!」
 眠っていた弍鹿和がボトルの割れる音に目を覚まし、ゆらりと身体を起こした。
 その巨漢に、さすがの悪島も一瞬たじろいだ。
「まだ酒の残っている瓶を割るたぁ、ふてえ奴だ!」
 弍鹿和はそう言うと、別のボトルを胸に抱いて、また眠ってしまった。
「ちっ、しょうがねぇ酔っぱらいだぜ」悪島は割れたボトルを握りなおした。「さあ、どうするっ!」
 薬師丸は気丈な口調で言った。「顔をぶたないで! あたし、女優なんだから」
「そうは、いかねぇんだ」悪島はボトルの割れ口を薬師丸の顔に近づけた。「どうやら、そろそろ時間切れのようだな」
 薬師丸は息をのんで、目を固く閉じた。

(4)奇跡の参上!

 鋭く割れたガラスのエッジが薬師丸の肌に突き刺さらんとしたとき──、
 パリン!
 張りつめた静寂を破ったのは、リノリウムの床にはじけるガラスの割れる音であった。
 宙を飛んできたグラスが、悪島の手からボトルをはじきとばしたのだ。
「だっ、誰でぇ!?」
 悪島は反射的に薬師丸を突き飛ばし、臨戦態勢に入った。
 よろめきくずれる薬師丸の両肩を、真津実也がしっかりと抱き支えた。
 ふっと店内の照明が消え、あたりは闇に包まれた。
「フフフフフ……」
 闇の中から忍び笑いが起こる──。
 カツシカンどもの間にも動揺のどよめきが走った。
「ちっ! なめたマネを──。誰でもいい、すぐに電源を入れてこい!」
「フフフフフ、ハハハハハハ」
 悪島たちのあわてぶりをあざけるかのように、笑い声は高らかに闇に響いた。
「くそっ! どこにいやがる。姿を見せろ!」
 悪島たちは目を凝らして店の中を見まわした。
「むっ!?」
 ウインドウから差し込むネオンのかすかな光が、窓辺に立った男のシルエットを、うっすらと浮かび上がらせていた。
 シルエットの男の声が、闇の中にこだました。
「この世に悪のある限り、ちまたに不正のある限り、平成閻魔ここにあり。邪悪に染まった悪党どもを、地獄の鬼が呼んでいる」
「なな、なにやつっ!?」
 月をおおっていた雲がとぎれ、窓からすべりこんだ月光のスポットライトが男にそそがれて、輝くボディと銀の仮面を明らかにした。
「正義のためなら鬼となる! ミラクル☆スター、ここに参上!」
 肩を寄せ合い、怯えていた客たちから、歓声が起こる。
 そのとき、ようやく店内に明かりが戻った。
「く、くそぅ! きさま、どうして──」
「地獄の閻魔に代わって、おまえたちに裁きを下すため、ミラクル☆スターは蘇ったのだ!」
 ミラクル☆スターが放つ高貴なオーラに威圧され、さすがの悪島も思わず後ずさった。
「ええい、しゃらくせぇ! やろうども、ミラクル☆スターをたたんじまえ!」
 悪島の一声でK区の猛者・カツシカンたちが、クモのような動きでミラクル☆スターを取り囲んだ。
 ミラクル☆スターは特に構える姿勢も見せず、低く言った。
「必殺の砕九龍(サイクロン)多鬼怨(タキオン)拳を受けて、地獄へ堕ちるがいい」
「じゃっ!」
「きえっ!」
「うりゃぁ!」
 奇声を発し、前後左右からカツシカンどもがおどりかかった。
 ミラクル☆スターが身構える前に攻撃をしかけ、一気にカタをつけようというつもりなのだ。
 銀の仮面の黒いゴーグルがキラリと光った。
 ミラクル☆スターの正面の男が、みなぎる殺意を隠そうともせず、無防備な銀の仮面めがけて強烈な右ストレートを放ってきた。伸びのある良いパンチだったが、拳は仮面に届かなかった。
 ミラクル☆スターが伸びてくるパンチにあわせて上体を後ろに引いていたのだ。手応えを失って流れた男の左側頭部に、真横からミラクル☆スターのぶち抜くような右回し蹴りが炸裂した。スエーバックはパンチをよけるためのものではなく、相手の上体を呼び込むためのものだったのだ。
 男の体は水平方向に落ちるように飛ばされ、壁に激突した。グシャリと壁に貼り付いた男の体が、ズルズルと壁に血のあとを引きずりながら床に沈んだ。
 おそらく男は視野の外から目にもとまらぬ早さで襲ってくる蹴りに気がつかぬまま、意識を飛ばされていたに違いない。
 最初の男の攻撃をかわしている間に背後からは大理石のテーブルをふりかざした大男が襲いかかっていた。ミラクル☆スターはふり向きざまに、振り下ろされるテーブルめがけて電光プラズマパンチをたたき込んだ。
 大理石のテーブルが粉々に吹っ飛び、テーブルを貫通したパンチは男の顎にめり込んでいた。大男は何が起こったのか理解できないといったように、目を見開いて自分の顎にめりこんだミラクル☆スターの拳を眺めていたが、目玉をくるんとひっくり返し、仰向けに倒れていった。
 そのときは既に右手からも牛刀を持った男がおどりかかっていた。ミラクル☆スターは半歩踏み込み、なんなく牛刀をかいくぐって男のふところに入っていた。攻撃をかわされて前のめりに泳いだ男の体がエビのように腰を折って宙に浮いた。
 ミラクル☆スターの左膝蹴りが男のみぞおちを突き上げたのである。膝蹴りを放ったミラクル☆スターの左足はひるがえり、男の体が宙にある間にその顔面をインステップで蹴り上げ、男の手からこぼれ落ちる牛刀を踵で蹴り飛ばしていた。
 飛ばされた牛刀は左背後から襲いかからんとしていた別の男の首に正確に突き刺さった。あえぐように開かれた口から「がぶっ」と大量の血を吐き、男はミラクル☆スターに触れることなく床にくずれた。
 ミラクル☆スターは牛刀をはじき飛ばした左足を下ろすと同時に軸足にし、体をスピンさせながら右足をふり上げた。みごとな後ろ回し蹴りが正面に立った男の頭の高さでふりぬかれた。
 攻撃をしかけるのが一瞬遅れて闘いの外にいた、残る一人のカツシカンの足元に、ごん・ごろごろと、いびつな形をしたものが転がった。
「はひっ!」
 それは仲間の頭だった。
 とうっ、と朽ち木のように倒れた男には首がついていなかった。
「うわっ!? うわあぁ!」
 一人残ったカツシカンは狂ったように叫びながら、血を吹いて倒れた仲間の首から牛刀を引き抜くと、ミラクル☆スターに背を向けて走り出した。そのまま逃げるのかと思いきや、男は何を血迷ったか薬師丸ひろ子に向かっておどりかかった。
「ひ──」
 薬師丸の口からもれたのは悲鳴ではなく、息を呑む音であった。
 目を血走らせた男は、薬師丸の前に仁王立ちになり、牛刀を大上段に振りかぶった。
 あまりのショックに目をそらすこともできず薬師丸は襲いかかる男を凝視した。
 しかし──牛刀は振り下ろされなかった。男は息を大きく吸い込んだまま動かなくなっていた。
 への字にひきつった口の端から、赤い液体が流れ落ちいてく──。
 男の胸から、異様なものが垂直に突き出ていた。
 男の背から貫通したミラクル☆スターの右腕だった。
「少し、さがっていた方がいい。いい服が汚れてしまう」
 ミラクル☆スターが場違いなほど静かな声で言った。
 薬師丸がわきに退くのを待って、ミラクル☆スターは右腕を引き抜いた。
 ドビュッ! 大量の血を床に吹きながら、最後のカツシカンも崩れ落ちた。
 最初の攻撃があってから、わずか10秒足らずの間に起こったことである。
 無防備に見えたミラクル☆スターは、相手が攻撃をしかけ、間合いに入る瞬間をねらっていたのだ。
「う…ううう……」
 悪島は床に倒れたカツシカンたちを見わたし、低くうめいた。よりすぐりの強者たちは一人残らず息絶えていた。
「悪島、残るは、おまえひとりだ! いまさら怖じ気づいたなどとは言わさんぞ!」
「な、なにをぬかしやがる!」悪島は自分に言い聞かせるように、むりやり笑みを浮かべてみせた。「こっちにゃ、ミラクル回路が生み出す発勁と、ミリオン・スーツがあるんだ。たとえお前でも、今の俺様を倒すことなどできやしねぇハズだ」
 悪島は漆黒のミリオン・スーツを装着し、フード型のマスクを被った。
 真津実也が悔しそうに叫んだ。
「その通りだ、ミラクル☆スター。気をつけてくれっ!」
 真津実也の忠告が悪島に自信を取り戻させた。
「そうとも。ミリオンマンとしての能力を身につけた俺様に、貴様が勝てるわけがねぇんだ!」
 悪島は右足を引くと左手前腕で胸から顔をカバーし、右腕をその下に構えた。
 攻撃を受ける面を少なくとった理想的な構えだった。
「……骨法か──」
 ミラクル☆スターは、あいかわらず構えらしい構えをとらずに、静かに悪島を見すえていた。たった今、壮絶な闘いをくり広げてきたにもかかわらず、呼吸の乱れはなかった。
「たしかに理想的な構えだ。人間の能力の範囲内ではな」
「な、なにぃ!?」悪島のガードがわずかに下がった。
「しかしな、悪島。スーパーヒーローにはスーパーヒーローとしての能力に見合った必殺拳の理想がある。骨法もカンフーも砕九龍(サイクロン)多鬼怨(タキオン)拳の敵ではない」
「ほざけっ! カンフーの素早い攻撃を、そんな無防備な構えでかわしきれるとおもっているのかっ!」
 悪島は左右の突きをねらって、すり足で踏み込んだ。
 とたんに悪島は腹に衝撃を受け、5メートルほど後方に飛ばされて床でバウンドした。
「ど……どうなっているんだ?」
 オリハルコンのスーツに守られていたため決定的なダメージには至らなかったが、悪島はすっかり取り乱していた。
「いくらカンフーの動きが速いといったところで、打ちだす前に拳を相手に当てることはできまい」
「なにっ!?」
「脳が信号を送り、筋肉が反応するまでには若干の時間がかかる。どんなに俊敏に動くことができたとしても、相手の動きに対応するアクションは、相手の動きよりも遅れて起こるということだ」
「あたりめぇじゃねぇか」
「その程度のことはわかるらしいな。しかし、砕九龍(サイクロン)多鬼怨(タキオン)拳は、相手の動きを見極めて放つ突きや蹴りを、相手の動く以前に打ち込むことができる必殺拳なのだ」
「まさか……そんなバカな!」
「砕九龍(サイクロン)多鬼怨(タキオン)拳・モードではミラクル☆スターの神経回路を走る信号にはローレンツ変換と組み合わされた形でタキオンが使われているのだ。時間をさかのぼって届くタキオンの信号は、脳が指令を出すとその一瞬前にメタルポリマーの筋肉に届いてしまう──つまり、相手の攻撃を見極めたあとのアクションを相手が動き出す以前に起こすことができるというわけだ。もっと簡単に言えば、私は突きや蹴りをくりだす以前に相手に当てることができるのだ!」
 腹を抱え込むようにしてうずくまる悪島に、ミラクル☆スターは言った。
「おまえはもう死んでいる」
「じゃっかしい!」
 悪島はとつぜん上体を起こし、ふところに構えた両方の掌をミラクル☆スターに向けた。
 うずくまっているように見せていたのは擬態で、その間、体内に《気》を凝縮し、たわめていたのである。
「ふん!」
 悪島は見えないボールを押し出すように、ミラクル☆スターに向かってそろえた掌底をつき出した。
「危ない! ミラクル☆スター! 発勁だ!」
 真津実也の叫び声は、バリン! とリノリウムのはじけとぶ音にかき消された。
 悪島の足元の床がめくれ上がり、そこからバリバリとリノリウムの破片を舞い上げながら稲妻のような亀裂がミラクル☆スターに向かって伸びる──まるで巨大なモグラリノリウムの下を強烈なスピードで走り抜けたようだった。
「てやっ!」
 ミラクル☆スターの身体が軽やかに宙に舞った。その下を稲妻の亀裂が走り抜け、カウンターに突き当たる。
 ドガッ! 大音響とともに、カウンターの一部がふきとんだ。
 飛び込むように宙を舞ったミラクル☆スターは身体を丸めクルリと一回転すると、そのまま悪島に向かって落下しながら蹴りを放った。
「作家(ライター)・キーック!」
「げふっ!」
 ミリオン・スーツの胸に蹴りを受けた悪島は、再び後方にもんどりうって倒れ込んだ。
 スタン! と着地すると、ミラクル☆スターは悪島を見下ろして言った。
「せっかく覚えた発勁も、しょせんムダ。役には立たなかったようだな」
「お…おのれ……俺の必殺技、邪鬼発勁をかわすとは──」
「もう、しばらく発勁は使えまい。《気》をチャージするのに時間を要す発勁は、そう度々連続して放つことはできないはずだ。一度放てば、その直後の動きが鈍る。私はお前が発勁を使う瞬間を待っていたのだ!」
 悪島は胸をおさえ、ゆらりと立ち上がった。
「ほほう……まだ立ち上がるだけの根性が残っていたか。もっとも、悪島の根性を褒めるより、真津実也氏のミリオン・スーツの強度を褒めるべきかもしれんがな」
 悪島は口の中で「アブドーラ、アブドーラ」とくり返していた。
「へへへ……勝負は、これからだぜ。真の悪党は、流血してから本当の強さを発揮するものだ!」

(5)ミラクル対ミリオン

「砕九龍(サイクロン)多鬼怨(タキオン)拳……まさに奇跡の殺法──ミラクル殺法だ。『黒の破壊者』のあと、彼はこんなにスゴイ新殺法をあみ出していたのか」
 ミラクル☆スターとミリオンマンに変身した悪島が対峙するのを目の当たりにし、真津実也の心境は複雑だった。
 ミラクル☆スターに勝ってほしい──とは思う。ミリオンマン悪島がこの闘いに勝ち残ったとすれば、ここにいる全員が助かる見込みはない。真津実也のとなりでかたずをのんで成り行きを見守っている薬師丸ひろ子の命も奪われてしまうのだ……。真津実也たちばかりではない。ミリオンマン悪島の存在はこの日本、いや世界全土の脅威となることは間違いなかった──それを考えれば、今ここでミラクル☆スターが負けるようなことがあっては、断じていけないはずだった。
 しかし──、ミラクル☆スターが勝つということは、すなわち真津実也が絶対の自信を持って開発したミリオン・スーツが破られるということを意味する。
(もし、ミリオンマンが負けるようなことになれば、僕は名誉挽回のために『黒の破壊者』の続編を書かなくてはならなくなってしまう……。SFハードボイルドの長編に全エネルギーを集中させたい今、パロディ作品などによけいな労力を使いたくない……)
 真津実也は複雑な思いで二人の闘いを見つめていた。
     *
「悪島、覚悟を決めろ! 先に死んでいったK区民たちといっしょに、この世で犯した罪の数々、地獄でつぐなうがいい!」
 シルバー&ブラックの戦士ミラクル☆スターが漆黒の破壊者ミリオンマンに引導を渡した。
「ぬかせっ! このオリハルコンのスーツが破られるハズはねぇ! 勝負は、まだこれからだ!」
「往生際の悪いヤツめ。この私にどうやって勝つつもりでいるのだ」
 悪島の顔が、黒い覆面の下でゆがむのがわかった。
「たしかにカンフーや骨法では、きさまに勝てんかもしれん。しかしな、俺様にはまだ温存していた新殺法があるのさ」
 悪島は大きくとびさがって、ミラクル☆スターとの距離をとった。
 攻撃圏内──いわゆる間合い──の外へ逃れたのである。いくら電光石火の砕九龍(サイクロン)多鬼怨(タキオン)拳でも、間合いの外にいる相手を倒すことはできない。攻撃をしかける前に、どうしても間合いをつめる予備動作が必要であった。
 しかし、ミラクル☆スターとて、不用意にとび込むことは危険だった。この予備動作にかけるわずかな時間が勝負を決する分かれ目になるなることは充分考えられるからだ。
素手で勝てなければ、武器を使って勝てばいい。簡単な理屈だぜ」
 悪島は右手の拳をベルトのバックルのあたりにもっていった。
「リボル・クラブ!」
 そう叫ぶとバックルからグリップが出現した。悪島がそのグリップを引き抜くと、仮面ライダーブラックRXの光剣・リボルケインならぬ、ゴルフクラブが現れた。
「これで、勝負はわからなくなったようだな」
 悪島がクラブを構えて言った。
 攻撃のスピードではカンフーよりも多鬼怨拳が勝っている。しかし、素手と剣で闘う場合には、明らかに剣の方に分があった。ボクシングでいう《リーチの差》が生まれるからで、素手で闘う者は危険を冒し、剣の間合いをかいくぐっていかなければ、自分の攻撃の間合いに入ることができないからである。
 悪島はよく肥えた腹をつき出し、上段に構えていたゴルフクラブを、ゆっくりと円を描きながら下ろしていった。
「見よ! マタニティ悪島の臨月殺法をっ!」
 ミラクル☆スターとマタニティ悪島の間で、見えない火花が散った。
 シルバー&ブラックのバトル・スーツがカチャリと音をたて、ミラクル☆スターは初めて構えらしい姿勢をとった。
 黒いゴーグルの中に、赤い眼のシルエットが点灯した。
「のあっ!」
 先にしかけてきたのは悪島だった。下段に下ろしたゴルフクラブをひるがえし、大振りのスイングを放ってきた。
 スエーバックで引いたミラクル☆スターの鼻先を、紙一重でクラブ・ヘッドがかすめ、焦げ臭い空気が、ふわっと漂った。
「ふっ!」「はっ!」「たっ!」
 悪島はたたみ込むように大振りのスイングを連続してうってきた。
 ミラクル☆スターはその攻撃を軽やかなバックステップでかわし続けたが、ついにカウンターぎわに追いつめられた。
「フフフフフ。もう逃げ場はねぇぜ。ミラクル☆スター」
 悪島は一瞬、息をととのえ、「てやっ!」とかけ声とともに、こん身の力を込めた水平スイングを放ってきた。
 ミラクル☆スターのこめかみに向かって水平にないでくる、横殴りのスイングである。
 ミラクル☆スターは上体を沈め、クラブ・ベッドの下をかいくぐった。
「もらった!」
 悪島の叫びとともに、水平に振り抜かれたはずのクラブヘッドが、下からミラクル☆スターの顎を目がけて襲ってきた。
 水平スイングは、悪島の牽制だったのだ!
 後方への逃げ場を失ったミラクル☆スターの頭を水平スイングで狙えば、上体を沈めてかわすしかないことを悪島は読んでいたのだ。ミラクル☆スターがかがむ瞬間をねらいすまして放たれた、強烈なアッパー・スイングだった。
「死ねぇっ! ミラクル☆スター!!」
 前からのスイングをバックステップでかわすことはできず、かといって左右に重心を移動させる時間もなかった。
 前後・左右に逃げることのできないミラクル☆スターが動いたのは上方であった。
 弧を描いて振り上げられてくるクラブ・ヘッドをジャンプしながらスエーバックでかわしたのである。
 手応えを失った悪島は、空振りした勢いで床に尻餅をついた。
 宙に舞ったミラクル☆スターは、後方にきれいなスワン宙返りをうってカウンターの上に着地した。
「悪島よ。野球のバッティングのクセが抜けないようだな」ミラクル☆スターがカウンターの上から悪島を見下ろしていた。「スイングするとき、体が開き気味だぞ」
「く、くそぅ! なめたマネを──」
 悪島は立ち上がると、スーツの中に手を入れ、ゴルフボールを取り出した。
「マタニティ悪島の臨月殺法奥義を見せてやる!」
 そう言ってフード型の覆面をはぎ取とると、ニヤリと口元に三角の笑みを浮かべ、エクボをつくって笑ってみせた。
 悪島はとり出したゴルフボールを床に置き、ミラクル☆スターに左肩を向けるようにスタンスをとった。
「臨月殺法奥義、ウルトラ・ショットを受けて見やがれ!」
 ゴルフボールの位置からゆっくりと弧を描いてクラブ・ヘッドが引き上げられた。
 ミラクル☆スターはカウンターの上で身構えた。
(油断は、できまい)
 打ち出されるゴルフボールのスピードは、突きや蹴りにくらべ、はるかに速い。この至近距離から飛んでくるボールをかわすことは、ミラクル☆スターの動きをもってしても、たやすい業ではないはずだった。
 ミラクル☆スターは膝をやや深めに曲げ、ボールが打ち出される瞬間、どの方向へも動けるように備えた。
 ゴルフボール一点に集中しようとするミラクル☆スターの内部で、ふと野生のカンがざわめいた。
(う!? おかしい……なにかが変だ──)
 悪島のバックスイングの短い間に、ミラクル☆スターはめまぐるしく思考を巡らせた。
(むっ!? あの床に置かれたボール……悪島の目からは、つきでた腹がじゃまになって見えないはずだ)
 ミラクル☆スターの脳裏に迷いが走る。
(ヤツは見えない位置にあるボールを打とうとしているのか!? それとも──)
 そのとき、シュバッ! と空気を切って、クラブが振り下ろされた。
 しかし──、ミラクル☆スターを襲ったのはボールではなかった。
 飛んできたのは悪島自身だったのである。
「くらえっ! レッド・ヘアー・ウルトラ・アタック!」
 床にゴルフボールを置いたのは、ミラクル☆スターの注意をそらすためのトリックだったのだ。
「じゃっ!」
 悪島が飛んでくることを寸前に察知したミラクル☆スターは斜め上方へ跳んでいた。
 しかし、悪島の飛んでくるスピードは予想以上に速かった。飛んでくる悪島の顔は笑っていた。頬にはエクボがはっきり見えた──そのエクボがゴルフボールのディンプルの役目を果たし、空気抵抗を少なくして《飛びを良くして》いたのである。
 斜め上方へ跳んだミラクル☆スターの体が逃れるスピードよりも、飛んでくる悪島のスピードの方が勝っていた。
 真っ赤に縮れた髪の毛がみるみる迫ってくる。
「くたばれっ! ミラクル☆スター!!」
「でやっ!」
 ミラクル☆スターは目の前に迫った悪島の肩を宙で蹴り、さらに上方に舞い上がった。
 蹴られた悪島は失速し、ミラクル☆スターが踏み切ったカウンターの上に、どさりと落下した。
 二段踏み切りで宙に舞ったミラクル☆スターは体を反転させ、天井を足で受けると、そのまま頭を下に、悪島めがけて思い切り天井を蹴り返した。
 下向きに踏み切ることで、ミラクル☆スターの強靭な跳躍力に、さらに重力加速度が加わって、その落下スピードは強烈なものとなった。
「必殺、落雷パンチ!」
 カウンターにつっ伏した飯島の背中に、まさに稲妻のような勢いでミラクル☆スターが拳から落下した。
 バリバリン!
 轟音とともにカウンターの一部が砕け飛び、悪島の体は床近くまでカウンターの中にめり込んでいた。
「今こそ受けよ! 閻魔の裁きを!」
 ミラクル☆スターは粉塵の舞うカウンターにめり込んだ悪島を引き起こし、間髪入れずに竜巻投げで後方へ放り上げた。
「必殺、爆裂キック!」
 悪島の体が宙にあるうちに、ミラクル☆スターはジャンプしていた。
 空中で体を丸め、目にもとまらぬ速さで回転しながら、先に投げ上げた悪島のあとを追っていく。
 悪島とミラクル☆スターのふたつの放物線は、店の反対側の壁で重なった。
 背中から壁にぶち当たった悪島めがけ、後を追ってきたミラクル☆スターが4回宙返りからスクリューのように身体をひねりながら電撃の蹴りをぶち込んだ。
 ガガァン!
 悪島の身体は壁とミラクル☆スターの放った蹴りにはさまれ、ものすごい火花を散らした。
 爆裂キックを放ったミラクル☆スターは、そのまま後方宙返りをうって、真津実也たちの前に着地した。
 悪島の身体は、壁にめり込んだまま貼りついていた。そのさまは巨大な昆虫の標本を思わせた。
 静まり返った店内に、ポロリと壁からコンクリートのかけらがくずれ落ちる。
 数秒の間をおいて、悪島の身体がはがれ落ち、どさりと床で音を立てた。
「ミ……ミラクル☆スター……」
 真津実也の喉からかすれた声がもれたが、そのあとの言葉は出てこなかった。
 他の者たちも、闘いのすざまじさに、息をするのもわすれているといったふうだった。
 悪は倒れた。正義が勝ち──彼らは助かったのだ。

(6)大逆転!?

 ミリオンマン悪島が倒れ、店内の危機は去った。
 しかし、歓喜の声を上げる者は一人もいなかった。
 命が助かったという安堵の気持ちはもちろん皆にある──しかし、激しい闘いを目の当たりにしたショックが、まだ彼らの心を去らないのだ。
 それがどんな種類の闘いであれ──たとえ理不尽な悪から平和を守るための正義の闘いであったとしても、闘いのあとには整理のつけがたい気持ちが残るということを皆はそれぞれ強く実感していた。
 そのとき──、店内にふたたび緊張が走った。
 壁ぎわに横たわっていた悪島が、ゆらりと起き上がったのである。
「ミラクル☆スター……や、やつが──」
 真津実也の声にふり返ったミラクル☆スターも、さすがにぎょっとしたように身構えた。
「なんてヤツだ……」
 爆裂キックを受けたミリオン・スーツの胸元はこげたように紫色に変色していた。
 ミラクル☆スターは悪島に顔を向けたまま、真津実也に言った。
「あのバトル・スーツを作った君の才能には、改めて驚かされるよ」
 壁に背をもたせかけるようにして立ち上がった悪島の腰のあたりから、コトリとライターほどの金属がこぼれ落ちた。
「あっ! ミラクル☆スター。はやくあれを──。あれは僕が開発したプラズマ爆弾なんだ!」
「なにっ!?」
 しかし、いち早くプラズマ爆弾を拾い上げたのは悪島だった。
「へへ……爆弾かい。こうなりゃあ、きさまらも地獄の道連れにしてやるぜ」
 ボロボロになりながらも、悪島の口元には嫌らしい笑みがへばりついていた。
「あの爆弾の威力は?」
 ミラクル☆スターは悪島を見すえたまま真津実也にたずねた。
オリハルコン以外のすべての物質をプラズマ分解してしまう大型の水素爆弾なみの破壊力がある……。今やつがスイッチを押せば、5秒後に爆発して、たちまち東京は火の海だ。助かるのは、ミリオン・スーツで遮蔽されたやつだけだ」
「まったく、大変なものを発明してくれたものだ……」
 困惑するミラクル☆スターに対して悪島は意気を取り戻したようだった。
「ムヒヒヒヒ。土壇場の大逆転だな。3点差で負けている野球の9回裏ツー・アウトで打席に入ってツー・ストライクをとられたあとに満塁場外サヨナラホームランをかっとばした気分だぜ」
 悪島がプラズマ爆弾のスイッチに指をかける。
 ミラクル☆スターは電光石火の早業で悪島のふところにとび込み、爆弾を奪い取ったが、すでにスイッチは押されていた。
「スイッチを解除する方法は!」
 ミラクル☆スターは怒鳴るように真津実也をふり返った。
 真津実也は頭を抱えてへたりこんだ。「だめだ! 方法はない」
「ケケケケケ。ざまぁみやがれ!」
 悪島がフード型の覆面を被った。
 爆発まで時間がない!
 店内の客たちは無意味と知りながらも、頭をかばって床に伏せた。
 ミラクル☆スターは悪島につかみかかり、彼が被ったばかりの覆面をこじ開けた。
「なっ、何をする!?」
 さけぶ悪島の口に、プラズマ爆弾をねじ込んだ。
「おまえの最後にかっとばしたホームランは、ファールになったようだな」
 そう言うと、爆弾をくわえて目を白黒させる悪島の顔に覆面を下ろした。
 ボムッ!
 ミリオン・スーツが風船のように膨れ、覆面と首の継ぎ目から、火の粉が店内に飛び散った。
 一度限界まで膨れたミリオン・スーツは、みるみるしぼんでいき、床の上につぶれていった。
 真津実也がゆっくりと頭を上げた。「ど、どうなった……?」
「君の言ったとおり、プラズマ爆弾は、オリハルコンのスーツを破る事はできなかった」
 ミラクル☆スターは、床にくたんとなったミリオン・スーツを拾い上げ、覆面の部分を後ろにはね上げた。
 白い煙が立ち上っただけで、スーツの中はカラッポだった。
 真津実也がのぞきこんで首を傾げる。
「しかし……なにも残らず消えてしまうなんて、おかしいな……」
「と言うと?」
「うん……」真津実也は、しばらく考えて口をひらいた。「悪島は、まだ生きているかもしれない」
「なんだって!?」
 さすがのミラクル☆スターも声を荒げた。逆転ホームランがファールになってホッとした矢先に投げたボールが打たれてような心境だった。
「それは、本当なのか?」
 ミラクル☆スターに問われて真津実也は説明した。
「僕の考えだと……プラズマ爆弾のエネルギーは、遮蔽されたスーツの中で行き場を失い、時間軸の方向へ噴出した……そのエネルギーに押し流される形で、悪島の身体も時間軸にそって飛ばされた可能性が高い」
「時間軸方向に移動したというのか?」
「うん……たぶんね。プラズマ爆弾のエネルギーの規模から考えて、30分から1時間程度過去に飛ばされたんじゃないかと思う」
「30分から1時間前といえば、ヤツはまだ星谷邸からここへ向かっている頃だな」
「その周辺から探してみるのが賢明だろうな」
「とにかく、確かめてみなければならんな。手負いのまま逃したとなれば、ヤツはきっとまた何かしでかすに違いない」

「ミラクル☆スター! 火が──」
 羽良まち子のただならぬ声に、ミラクル☆スターと真津実也はふり返った。
 店内のあちこちで火の手が上がり、客が騒ぎ始めていた。
「ミリオンマン悪島が爆発したとき、スーツの継ぎ目から飛び出した火の粉が燃え広がったんです!」
 すでに出入り口のあたりは炎に包まれて危険な状態になっている。炎はまるで悪島の怨念が乗り移ったかのように猛り狂っていた。揺らめく炎に出口をはばまれ、客たちが右往左往している。
「いかん! ただでさえ危険な出口に向かって皆が殺到すれば、犠牲者が出るぞ」
 ミラクル☆スターは店内を見まわし、あわてふためく客たちを誘導した。「皆さん、そっちは危険出す! 壁に開いた穴から、隣の中華飯店を通って脱出するのです!」
 客たちは我先に《愛馬オラシオソ》が広げた壁の穴に向かった。
 しかし、漁人やMON48のメンバー、それに女性陣たちは炎が勢いを増す店内から立ち去ろうとしなかった。
「どうしたんです! ここは危険だ! 早く避難して!」
「でも……」鷹端裕子が炎と煙で視界の悪くなった店内に目をやりながらうったえた。「星谷さんの姿が見えないんです」
 ミラクル☆スターは一瞬返答につまったが、機転を利かせて言った。
「彼なら大丈夫。私が悪島と闘っている間に、警察に通報しに行ったはずです」
 それを聞いて女性陣は一様に安心したようだった。
「ミラクル☆スター。今日のご恩は忘れません」
 行きかけた鷹端が、ふと足を止め、ハッとしたようにふり返った。
「もしや、あなたは……」
 鷹端が言いかけとき、天井から火に包まれた梁が落ちてきた。
「さっ、早く行って! ここは危ない!」
 鷹端は切羽詰まった状況にうなずき、言いかけた言葉を飲み込んで指示に従った。
 もう残っている者はいないかと店内を見まわすと、煙につつまれてまだ一人、細身の女性の姿があった。
 薬師丸ひろ子であった。
「彼女は僕に任せて。ミラクル☆スターは悪島の行方を追ってくれ」
 そう言う真津実也にミラクル☆スターはうなずいた。
「よし、あとはまかせた。私は星谷邸に向かってみる」
 ミラクル☆スターは左手を斜め前方に突き上げ、右手首のマイクに向かって叫んだ。
「ランドホーク!」
 突き上げた左手がアンテナとなり、遠隔操作でランドホークを呼び寄せることができるのである。
 炎に包まれた扉がぶち破られ、ランドホークの銀の機体が、床上2メートルの空間を滑るように飛んできた。
 床を蹴って飛び上がるミラクル☆スターに向かって、ランドホークがきりもみをしながら突っ込む。
 ランドホークが駆け抜けたあとにはミラクル☆スターの姿はなかった。
 窓ガラスをつき破ってそのまま夜の闇の中に飛び出したランドホーク。その機体は見る見る小さくなっていく。見えなくなる直前、機上にシルバー&ブラックのバトル・スーツがキラリと光った。
 それを見送る薬師丸の肩に真津実也は手をかけた。「さ、僕らも早くここを出よう」
「ええ……」
 薬師丸はランドホークが消えて行った闇から目を手元に落とした。その手にはガラスのかけらが握られていた。悪島に顔を切り裂かれそうになったとき、彼女を救ったグラスのかけらである。それはメロンジュースのグラスの柄の部分であった。
「ミラクル☆スター……」

(7)闘いのあとに…

 ランドホークでミラクル☆スターが駆けつけたとき、はたして悪島は変電所の前の道で倒れていた。
「……そういうことだったのか……」
 ミラクル☆スターは変身を解いて、悪島のわきに片膝をついた。
 もう、心を鬼にして、かつての友と闘う必要はなかった。
 チャイナ・ランチ・ハウスから過去に逃れた悪島は、1時間前にここを通った悪島自身が運転するリムジンにはねられていたのである。
「これが因果応報というものか……悪島よ」
 星谷の姿に戻ったミラクル☆スターは、かつて友であった男の方に手を置いた。
「正義と悪──対極の存在だったが、改造人間の俺には、おまえの変態人間としての悲しみがわかる……普通の人間には決して理解できない超人としての孤独が……」
 宿敵ではあったが、ミラクル☆スター同様、《人間であって人間でない》超人の孤独を共有する者のあわれな死であった。
 星谷は静かに祈った。
「悪島、安らかに眠ってくれ」
 そのとき、悪島の身体がピクリと動いた。星谷はぎょっとして息を呑んだ。
「悪島!? きさま、生きているのか!?!」
 星谷は悪島の体をあおむけ、胸に耳を当てた。弱々しくはあったが、規則正しい心臓の鼓動が聞こえた。
「あれだけ酷くひかれていながら……そうか、ミラクル回路が再び悪島の命を救ったんだ」
「ううう……」
 体を動かされた刺激で気がついたのだろう。悪島がうっすらと目を開けた。
「ああ……ここは? ええと、あっしは……車の前に人が飛び出してきたんで、すっかり慌てちまって……それから…それから……それからのことが、思い出せない……」
 悪島は星谷の肩に手をかけ、起き上がった。そして──、
「ありゃあ! なんてこった!」変電所につっこんでいる金のリムジンを見つけて、赤く縮れた髪をかきむしった。「あ、あれは……あっしが飛び出した人影をよけようとしてハンドルを切りそこねて突っ込んだんですかい? ああ、なんて大変なコトを──」
「純金の車の1台や2台、どうなったところでかまわないが……」星谷は悪島の顔をのぞき込んだ「おまえ、本当に覚えていないのか?」
「へえ……すいやせん。頭でも打ったんでしょうか?」悪島は後頭部に手をあて悲鳴をあげた。「アウチッ! ひでぇコブができていやがる。まるで、あっしが車にひかれてデフに頭をひっかけたみたいなゴブでさぁ」
 事故以降の記憶がないというのは本当のようだった。
 星谷の困惑した表情に気がついたらしく、悪島がたずねた。
「どうしたんで? あっ……飛び出した奴は!? まさか、はねちまったんじゃ……?」
「いや……」星谷は考えた(悪島がひいたのが悪島自身なのだから、不問にしても問題はなかろう……)
「いや、飛び出した人は無事だったよ」
 悪島はホッとため息をついた。
「そうですかい。良かった。事故でも起こして免許を取り上げられちまったら、おマンマの食い上げですから」
 そう言ってから、眉を寄せた。「でも、こまっちまったな。車がオシャカになっちまうなんて……せっかくの同窓会に遅れちまいそうですね」
 悪島がすまなさうに頭をかいたとき、門の方角から、闇の中を車のヘッドライトが近づいてくるのが見えた。
 星谷邸の敷地の中では見かけない赤のオープンカーだった。
 車は星谷たちに近づくとスピードを落とし、二人のわきで停止した。
 エンジンが切られ、月明かりのなかに運転者の顔が明らかになった。
「ありゃあ! ややや、薬師丸ひろ子だぁ!」
 悪島が目をまん丸にして指差した。「テレビの箱の中から、どうやって出てきた!?」
 薬師丸は驚いたように二人を見比べていたが、車を降りて星谷のそばに立った。
「やっぱり、あなたがミラクル☆スターだったんですね」
 薬師丸の細い指に割れたメロンジュースのグラスの柄が握られていた。
「…………」
 星谷は答えず彼女に背を向けると、満月に向かって道路脇の芝生の中に2〜3歩足を踏み入れた。
 その背中を追いかけるように薬師丸が声をかけた。
「ありがとう……守ってくれて──」
 星谷は足を止めたが、何も答えなかった。
「あの──」沈黙をふり払うように薬師丸が一歩、星谷に近づいた。
「これからも──」
 いったん躊躇した言葉を彼女は思い切って口にした。「これからも、あたしを、守ってください!」
 沈黙は、しばし続いた。
 月の照らす芝のどこかで、気の早い虫が鳴いていた。
「勘違いしないでくれ」薬師丸に背を向けたまま星谷が言った。「俺は、君を守ったわけではない。悪党退治をしただけだ」
 チャイナ・ランチ・ハウスで声をかけてくれたときとは別人のような、突き放した響きがあった。
「どうして……どうして、そんな冷たい言い方をするんです」
 少し間をおいて、星谷がぼそりとつぶやいた。
「俺は人間であることをやめた男だ」
 前後の関係なくでてきた言葉の中に、薬師丸は自分の気持ちに対する答えが含まれていることを察知した。
 地位も金も名声も手に入れ、世間から何不自由なく暮らしていると思われ、羨まれる存在──しかし、彼の心の内には何人も踏み込むことができない、深い《スーパーマンの孤独》が横たわっているのだということを、彼女は知ったのだ。
「君には、真津実也という人がいる」
 星谷は背を向けたまま言った。「彼は、いい男だ」
 薬師丸には、手をのばせば届くところにあるその背中が、無限のかなたに遠ざかってしまったように感じられた。
 星谷が向いた丘の向こうには大勢の人々が暮らす街が広がっている。
 そこに暮らす人たちは、その暮らしがミラクル☆スターの命をかけた孤独な闘いによって死守されたことを知らない……。
 ふいに星谷がふり返り、薬師丸に向き直った。
「君にひとつ、たのみがある」
「ええ」
 無限の彼方に遠ざかった存在が目の前に戻ってきたような気がし、薬師丸は目を輝かせた。手の届かないところにいると思った星谷に頼み事をされたことがうれしかった。
「悪島のことを許してやってもらえないだろうか。やつは凶暴化していたときの記憶を失ってしまっている。あんな目にあった君には許せないことかもしれないが……できれば、このまま何もなかったことにしておいてやりたい……」星谷は自嘲的に言った。「どうやら俺は、鬼にはなりきれないらしい」
 鬼にはなりきれないと言った星谷の優しさが、薬師丸には嬉しかった。
「わかりました」
 薬師丸はつとめて明るく答えた。悪島には確かに恐ろしい体験をさせられたが、そのためにミラクル☆スターに助けられることになったことを思うと、必ずしも恨むべきばかりの存在ともいえなかった。
「ありがとう」星谷は初めて笑顔をみせた。「みんなは無事に避難したかい?」
「ええ。近くのスナック《チャイニーズ・フード・ショップ》に会場を移して、星谷さんが現れるのを待っています。よかったら、あたしの車でご一緒しませんか?」
「そいつは、ありがたい」
 星谷はふり返って、変電所に突っ込んだリムジンをのぞき込んでいる悪島に声をかけた。「おおい、悪島。薬師丸さんが、会場まで乗せてくださるそうだ」
「うひゃ〜、すげぇや!」悪島はすぐに飛んできた。「たまにゃあ、他人の運転する車に乗ってみたいと思ってたんでさぁ」
 3人が次々に乗り込むと、眠っていた車が目を覚ました。
 二筋のびたヘッドライトの光で闇をなぎながら、赤いオープンカーは、月明かりの照らす一本道を、エンジン音をひきずりながら街に向かって遠ざかって行った。
 誰もいなくなった夜の丘で、虫はあいかわらず鳴き続けていた。

『ミラクル☆スター 復活篇』──完──

     *     *     *     *

【チャンネルF・10号『ミラクル☆スター 復活篇』まえがき】
 よりによって──《チャンネルF》の中で一番長い枚数(90枚程度)になってしまったのである(※本ブログ版では若干短くなっている)。
 よりによって──記念すべき第10号なのである。
 9号でご存知の通り通り『ミラクル☆スター』は、楽屋オチのラクガキ同様のモノである。そんなものを、よりによって……。
 もともと『ミラクル☆スター』は、悪島の楽屋オチ『スーパースター』に対抗するパロディとして書かれたもので、まさか、こんなフザケた作品をまた書くことになろうとなどとは夢にも考えていなかったから、前回限りで変身不能となる、読み切りの設定でキメていた──。
 ところが──『ミラクル☆スター』を読んだ悪島が『スーパースター』の新作で反撃を企てていると情報が入った。これはイカンということで、悪島の新作を牽制しつつ、ミラクル☆スター復活を考え始めているところに舞い込んだのが、真津実也氏のミリオンマンが活躍する『黒の破壊者』である。この作品にはミラクル☆スターもネアンデルタール悪島も登場する。
『スーパースター』シリーズを粉砕しトドメを刺す目的で書いた『ミラクル☆スター』が、新たなパロディ作品の火種となってしまい、僕としても『復活篇』を書かないわけにはいかなくなってしまった次第なのである……。

【チャンネルF・10号『ミラクル☆スター 復活篇』あとがき】
『ミラクル☆スター 復活篇』の書かれた経緯については、はじめに簡単に説明したとおりである。
 一回限りのつもりで書いた『ミラクル☆スター 激闘篇』のあと、悪島が『スーパースター6』に着手したと聞き「こりゃぁ〜マズイことになったぞ」と思った。ミラクル☆スターは読み切り想定で書かれたため『激闘篇』で変身能力を失っている。スーパースターの新作が書かれれば、それ以降、対抗する手段がないわけで、「このままではイカン」と、あわてて『復活篇』の構想を練り始めたのである。
『スーパースター』にしても『ミラクル☆スター』にしても、基本は楽屋オチである。個人的なエピソードが作品のネタになる。ところが悪島とは、ここしばらく会っていないので、お互いに新作のネタがどうしても不足しがちであった。たまに電話で様子を探ろうとするのだが、そこはお互い考えていることは同じで、墓穴を掘ることを警戒し、作品に使われそうなおいしいネタは、きっちりとガードしている。悪島につての最近の情報と言えば、ガラにもなくゴルフなんぞを始めたらしいとわかった程度である。
 お互い新鮮なネタもなく、その上、悪島は忙しい身なので、このままいけば『スーパースター6』は立ち消えになる公算が強い──僕はそうにらんで、この時点ではあわてて『復活篇』を書く必要もなかろうと踏んでいた。このテの作品は、思い立ったが書き時で、躊躇したり間をあけたりし「俺はなんで、こんな下らんことをやっておるのだろう?」などと冷静になってしまったら、もうとても書き続けられるものではない。そういった点からも、スーパースターの新作は不発に終わり、さすれば『ミラクル☆スター』の続編も書かずにすむだろうと半ば安心しかけていたところだった。
 そこに突然乱入したのが、真津実也氏のプリント小説・番外編──ミリオンマンの活躍する『黒の破壊者』である。ミラクル☆スターとスーパースターの戦いは意外なところに波及していたのだ……。
『黒の破壊者』の中では一応、僕と真津実也氏が手を組み、ネアンデルタール悪島を倒すことになっているのだが、悪島曰く「だけどよう、あの作品の中じゃあ、おめえ(星谷)は、俺(悪島)よりも弱いことになってるんだぜ」。そーなのである。ミラクル☆スターが悪島に倒されそうになったところにミリオンマン(真津実也)が登場して悪島を倒す──という展開なのだ。
 その展開自体に文句はないが、悪島から言われたとあっちゃぁ〜名誉挽回しないわけにはいかねぇーべさ。
 真津実也氏が登場する話ならば、同人誌MON48のメンバーのことも書けるのでネタも増える。
 かくして『復活篇』が動き出すことになった。
 とゆーわけで、当然『復活篇』には『黒の破壊者』のパロディがでてくる。「バー・チャイナ・ランチ・ハウス」「チャイニーズ・フード・ショップ」などは『黒の破壊者』にでてきたものである。
 ネタの提供という意味の他にも真津実也氏の『黒の破壊者』は『ミラクル☆スター 復活篇』の刺激になった。彼の『黒の破壊者』は『ミラクル☆スター』とは違い《ちゃんとした作品の造り》になっていたという点に感心してしまったのである。彼の解説を引用すると「僕が書くならもう少しストーリーがあって、味のあるものを書きたい思っていた。楽屋落ちを多用するとしても、それだけではないものを書きたいのである。だじゃれを多用する手法を採らず、ねじれた世界における変な男たちを書きたかった」──真津実也氏はミリオンマンをちゃんとしたギャグ作品として位置づけ、彼なりのポリシーをもって書いていたのである。その姿勢に敬服し、また刺激も受けた。
 僕もファンタジー等、創作については、けっこうウルサイつもりでいる。しかし『ミラクル☆スター』については、ちゃんとした創作作品として考えたことはなかった。純粋な創作と楽屋オチの内輪ウケ作品とは別──と漠然と考えていたに過ぎない。
 真津実也氏が第三者が読んでもわかる、ちゃんとしたギャグ作品としてミリオンマンを位置づけたのに対し、それでは僕は『ミラクル☆スター』をどう位置づけるのか──その答えが『復活篇』だと言っていい。
『ミラクル☆スター』においては、内輪ウケを最優先する──というのが僕の立場である。
 もともと《作品》ではなく《内輪ウケ》を目的に書かれたのが『ミラクル☆スター』だったわけなのである。
 楽屋オチの作品には既製作品では味わえない面白さがある。
 自分の身近な人物が登場するのが、まず面白い。
「ははぁ、これは、あのときのあれだな」と思い当たるシーンが出てくると思わずニヤリとしてしまうし、それがミョ〜にデフォルメされていたりギャグられていたりすると、もう抱腹絶倒としいうことになる。これはもう、作品性──小説としての出来・不出来とは別の次元の楽しみである。
 楽屋オチを書く方は、自分の思いのままにキャスティングも展開も決めることができるわけで、これがまたいたずら心を刺激する。読む側からすると、書き手のいたずら心がうかがえて、これまた面白い。
 例えば『復活篇』ではマドンナ役に薬師丸ひろ子を起用している。
 断っておくが、僕は決して彼女のファンではない。読んで察しがつくとおり、ファンであるとすれば、それは真津実也氏である。
『復活篇』では、ミラクル☆スターのカッコ良さを演出するためにマドンナを出してやれと考えたのだが、同人誌で知り合った頃は独身だった女性たちも次々と既婚者になり、人妻のマドンナ抜擢は問題があるし……かといって未婚でも特定の女性を起用するのはどうかと考え……直接の知り合いではない有名人を使うことにした。
 現在僕には特に好きな女優というのはおらず、誰を起用したろ〜かなァと考えていたとき、真津実也氏が薬師丸ひろ子の映画を誉めていたことを思い出した。最近、中島みゆきの『時代』を他の娘が歌っているのを耳にし、新鮮に感じたとといことを電話で真津実也氏に話したところ「むふっ、それ、薬師丸ひろ子なんですねェ〜」と半ば照れるように半ば嬉しそうに──まるで自分の彼女が誉められたみたいに、はにかみながらも誇らしげに答えた真津実也氏の声を思い出してヒロインに採用することを思い立ったのである。
「おーい、ミリオンマン。おまえの好きな薬師丸ひろ子と、こーんなシーンを共演しているんだぞ。羨ましいべさ、うっしっし。どーた、まいったか、うりうり」という魂胆なのである。「ミリオンマンが好意を寄せている薬師丸ひろ子が、実は秘かに想いを寄せていたのは、ミラクル☆スターだったのだ。でも、ミラクル☆スターはストイックだから、その愛を受け入れず、ちゃ〜んとミリオンマンに返してあげっからね」というのを見せつけるための抜擢だったのである。
 楽屋ネタの「快・感」なのである。
 ──《略》──
 このように、楽屋ネタを目的に書かれた作品のオカシサというのは当然のことながら、第三者の読者には伝わらない。つまり、本当の創作作品・小説としての面白さではないわけで、このテの内輪ウケ作品を、普通の創作作品・小説と同直線上で評価するのは妥当ではないと思うのである。
 つまり、すなわち、言うなれば、『ミラクル☆スター』を、一般の作品と同じ読書基準で読むのは勘弁してほしいのである。これを読んで、文章がヘンだとか、設定が不自然だとか、ストーリーに不備があるとか──冷静に批評したりしないで欲しいのである。
 まっ、ひとつ、縁起物ということで……(?)。(1989年3月15日 星谷 仁)

     *     *     *     *

はてなブログにどれだけ長文を載せられるか──ということを確かめる意味もかねて投稿してみたもの。ここまでの字数は30093字だった。ちなみに、mixi日記の字数制限は10000字、Yahoo!ブログでは20000字だった。

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巻貝が描く《幻の地図》 4枚ほどの幻想掌篇風着想メモ
小説版『ミラクル☆スター〜復活篇〜』 ※読み切り 3万字以上あります
バーベットin夢 2枚半弱のショートショート風メモ

 

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