チャンネルF

個人誌的ブログを試行中…ショートショートや読み切り童話など

【童話】と【絵本】の違い

小説の「縦書き」と「横書き」について、前の記事で記したが、「縦書き」か「横書き」かで、顕著な違いが現れるのが絵本で、縦書き(右開き:右から左へページが進む)か横書き(左開き:左から右へページが進む)によって、これは文章よりも絵が大きく影響を受けることになる。
「縦書き」と「横書き」で大きく違う【絵本】と、しばしば混同される【童話】について、10年以上前に別のところで記した僕の考えをあらためて──、
     *     *     *     *     *
僕は【童話】を書いているが、【絵本】は描いたことがない。なのに「絵本を描いている」と思われることがある。挿絵と文の両方を描いた本があるから、これが【絵本】にあたると判断されるためだろう。
挿絵の比重が大きい【童話】は一般の人には【絵本】と同じように見えてしまうのかもしれない。

しかし、書き手の側からすると──少なくとも僕は、【童話】と【絵本】を一緒くたに扱うことには違和感がある。【童話】と【絵本】は、発想において全く別モノ──という意識があるからだ。
簡単にいえば【童話】は小説の1ジャンルであり、文章によって構成される芸術形態。【絵本】は場面(見開き)ごとに構成される視覚的な芸術──紙芝居に近いといえるかもしれない。
【童話】を書く場合、量(枚数制限など)は意識しても、基本的に展開は小説とかわらない。【絵本】の場合はまずページ数(見開き数)──場面数から逆算して物語の展開が作られることになるのだろうと思う。漫画のコマ割り・ネーム作りに近い創作行程かもしれない。

本質的には「文と絵の(分量的な)比率」は関係ない。
絵の占める割合がどんなに多く、本文がどれほど少なくても【童話】は童話。挿絵がなくても小説として成立しうる(文章だけで独立して読める)作品はそう呼べる。また逆に極端な話、挿絵がまったく無くても、見開きの場面ごとに構成された物語は(創作上では)【絵本】といえるのではないか──と僕は考えている。

【童話】は場面数にしばられないが【絵本】の構成は場面数を基に考えられる。挿絵の部分については判型も関係してくるだろうし、右開きか左開きかにも大きく影響を受けることになる。
本文が縦書きの絵本なら、本文は右頁から左頁へと読み進められる関係から、描かれる絵の展開も右から左へ向かうことになる。登場人物たちが歩いていくシーンは左向きになるのが自然だ。逆に本文が横書きの場合は本文が左頁から右頁に読まれていく関係で、登場人物たちも右向きに進行していくことになる。

【絵本】が右開きか左開きかにも影響されるという実例にこんなエピソードがある。以前、某児童書出版社で外国の絵本を翻訳・出版することになった。英文で書かれた横書きの絵本を、そのまま横書きの日本語訳で出版すれば問題なかったのだが、一冊だけ新しい企画の本を出すより、すでに浸透しているシリーズ(縦書きの絵童話シリーズ)に入れて出した方が良いという営業的な配慮が働いたのだろう──オリジナルは横書きだった絵本を縦書きに組み替えてしまった。しかしそうなると絵だけを元のまま場面ごと収めてみても、しっくりこない。本文の進行方向がオリジナルの英文では「左→右(横書き)」だったのに翻訳版で「右→左(縦書き)」に変わってしまったために、挿絵の登場人物の進行の流れと逆向きになってしまったためだ。それならば、挿絵の向きも逆にしてしまったらどうだろう──ということで、なんと原画の左右を反転させることを検討したというのだ。「そうしたら、絵に描かれていたアルファベットまで反転しちゃったんで困った」なんて話を編集者から聞いたことがある。

しかし、創作する側から言えば、描かれた絵を反転させて起こる弊害は、たまたま描かれていたアルファベットが読めなくなるという次元の問題ではないだろう。画面(見開き)のレイアウト──絵の構成や文字の配置は読みやすさ見やすさを計算した上で決められたわけで、左右を反転させて線対称にバランスが保たれたから良いと言うものではない。
通常「絵は左、文は右」に配置した方が見た目は安定する──これは右脳と左脳の働きによるものなのだろうが、そんな知識はなくても、絵本・新聞・ポスターなどを見なれた人なら経験的にそれを知っているはずだ。左右をそのまま反転したのでは、印象は異なるものになり、作者の空間配置の計算は崩れてしまうことになる。

もっとも、このエピソードで問題になったのは【絵本】の「絵の部分」についてで、本文については「右開きか左開きか」で影響を受けることはなかっただろう。しかし、もし、ページ数(場面数)の変更があれば(総文字数に変更はなくても)、厳密にいえば作者は本文にも手を入れたくなるのではないかと思う。
また、余談だが、今後電子出版のようなものが普及していけば、右開き・左開きの制約を受けない絵本の可能性(同一作品の中で登場人物らが左右同等に進行できる)──みたいなものが追求され、「右開きでも左開きでもない」(紙芝居式?)展開の絵本、その特徴を活かす発想の原文が書かれる──なんてことも当然あるのではないかと僕は考えている。

このように【絵本】の創作には多分に視覚的な要素が伴う。【童話】を考えるのとは基本的に創作思考プロセスが異なるものだ──というのが僕の感覚だ。【童話】を考えているときと【絵本の文】を考えているときの脳の活性を調べたら、違いがでるのではないか……なんていう気もする。

ただ、もちろん、【童話】と【絵本】は相反するものではない。
文章のみでも優れた【童話】として成立する作品が、同時に【絵本】としても優れている例はままあるし、出来上がった作品が必ずしも【童話】か【絵本】かのどちらかに区分される──というものでもないだろう。
しかし、一般的には【童話】と【絵本】の違いというのは明確でなく、その本やシリーズを書店や図書館のどの棚に置くか──便宜的な判断で分けられていることが多いような気もする。

混同されがちな【童話】と【絵本】について、僕はそんなふうに考えている。

 

創作雑記ほかエッセイ〜メニュー〜
読み切りアイディア・ストーリー〜メニュー〜