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作品合評会について

僕も昔、同人誌活動や児童文芸の研究会等で合評会を経験している。合評会は創作仲間が互いの作品を批評しあう場だ。創作をする上で必要な《作品を適切に評価する能力(分析力)》は合評会で培ったように思う。我流で創作を始め、右も左もわからなかった僕が、自分なりの《ものさし》を形成する上で合評会は大いに刺激になった。そんな合評会をふり返って、思うところを少し記してみたい。

自分が苦労して書き上げた作品というのは、うまく描けているのかどうか、判断するのが難しい。読み返して判断しようにも、冒頭を読む時点で、その後の展開や結末が全てわかっているので、ニュートラルな気持ちで読むことができない。書いているときの苦労や不安が脳裏に蘇ってきたりして、とても読者として客観的に見ることができない。
そこで、他の人が読んだらどう感じるのか──他者の意見が知りたくなる。また、同じように創作をしている人がどんな作品を書いているのかも気になるし、皆がどんなことを考えながら作品づくりをしているのかにも興味がある。ということで、同人誌や研究会などに参加した。そこでの合評会は興味深く、色々と学ぶことが多かった。

ただ、同じように創作を志している人たちの意見というのは、イコール・(一般の)読者とは、またちょっと違う。僕が書いていたのは童話だったので、特に読者対象の子どもとは違った──《読む側》ではなく《与える側》の大人の視点で考えている人が多かった。合評をするのは、純粋な読者ではなく、書き手だということを考慮にいれて意見を仰ぐ必要はあると思う。書き手である以上、それぞれに目指す理想の文学観(作品論)のようなものがあって、その考え方に当てはめて作品を判断しようとする傾向があるからだ。書き手の批評は、どうしても《その人の文学論に偏った見方になりがち》だったりする。

自分の作品に対して自分ではニュートラルな読み方ができず、他者の意見も、その人の文学論に偏ったものだとすると……自分の作品に対する評価がどれだけ妥当なのかを正しく分析するのは、やはり難しい。

そこで僕は、他の人が書いた作品に対するメンバーの評価に注目した。自分の作品はなかなか客観的に見ることができないが、他者の作品なら客観的に見ることができる。他者の作品に対し、僕が抱いた感想と、他のメンバーが指摘する評価を比較することで、客観的に理にかなった批評をしているのはどちらか──自分の作品分析力がどのていど妥当なのかを判断することができるようになった気がする。
自分が書いた作品が他の人にどう評価されるかも、もちろん関心があったが、合評会では、他者の作品の評価を試金石に自分の評価能力の程度を確認し、作品分析能力を磨いていたように思う。

作品の合評となると、自分の作品に対する評価ばかりを気にして、他のメンバーの批評にはあまり関心がない人もいたが、僕の場合は、むしろ「客観的に読むことが出来る他者の作品」に対する合評が《作品を測るものさし》づくりに役立ったというう思いがある。自分なりの評価基準のようなものができてくると、それを自分の作品にあてはめて考えることもできるようになる。

僕の場合は、そんな形で合評会が有益だった。ただ、参加した同人誌の中には合評会にあまり熱心でないグループもあり、《合評会の質》はそのグループによって格差があったように思う。褒め合い励まし合うことは互いの書くモチベーションの後押しになるのかもしれないが、率直な意見交換ができる場であることが、より良い作品を書くためには必要な気がする。

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