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ノルマを課して書くことについて

「とにかく書く」は修行感はあるものの…

スポーツ選手が毎日○km走ると決めて実践するように、毎日○枚書くと決めて小説修行している書き手もいるのではないか。実際にそうしたストイックな努力を続けているという人に出会ったこともある。
しかし僕はノルマを課して書くことについては懐疑的だ。といっても、これはあくまでも個人的経験からの判断で、僕の考えを一般化するつもりはない。その人の資質や取り組み方、設定目標、あるいは修行段階によっても、違うのかもしれない。

僕はもともと文章は下手くそで、書くのも遅い。創作活動を始めた頃は、執筆能力を高めるためには努力が必要だと感じ、「とにかく書く」ことを実践してみたことがある。1年ほどの間、修行のつもりで試してみたのだが……その間に書いたものを集計してみたところ、1日あたり19枚(四百字詰め原稿用紙で)を書いていた。僕にしてみれば、かなりの量だ。しかし、それで文章が巧くなったとか、おもしろいものが書けるようになったとかいう実感は無かった。「書く気になれば書けるものだな……」という変な達成感(?)みたいなものはあったものの、冷静に眺めてみれば、書いたものは粗雑で大しておもしろくもない……書くことを優先することで、(当時の未熟な技術で)書ける範囲で書いてしまう──《低水準の作品を量産できる技術を磨いてきた》感がなくもない。修行中はそれなりに努力をしているつもりでいたけれど、何のことは無い、ただゴミを量産することに時間を費やしてきただけだった……。学ぶことがあったとすれば、「がむしゃらに書くだけでは(書けるようになったところで)巧くならない」ということくらい。他には得るものは無かった。
僕は「とにかく書く」という方針をやめた。


つまずいたら 立ち止まって考える

書いていてなかなか筆が進まない「しんどい」状態におちいった時は、それは作品のどこかに無理があるからだ。その原因を棚上げして無理矢理書き進めても良いものができるわけがない。思うように書けない時は、立ち止まり、時間をかけてでも「いったい何が悪いのか?」──創作上の問題点を究明して打開策を模索するのが正しいやり方だと考えて、以後はそうしている。問題点を探し出し、解決の糸口をみつけて書く作業に戻る。そして、まだ「しんどい」ようであれば、自分の分析や解決策に間違いがあったと考え、さらに考える──。書いては考え、考えては書く──遅々として進まないようだが、作品の本質を理解する能力はそうやって培われるのではないかという気がする。つまずくたびに問題点を洗い直す作業は、その時点では停滞しているように感じても、上達するためには必要なプロセスではないかと思うのだ。ノルマを優先して無理矢理書き進めるのは「気づき」のチャンスを捨てて「問題をスルーして書く技術=悪いクセ」を身につけることにもなりかねない──そう考えるようになった。

人気作家が依頼の需要をこなすために量産技術を修得するのは必要なことなのかもしれないが……修行中の書き手がすべきことは、効率的に作品を量産する訓練よりも、時間を充分にかけて作品の質を高めることなのではないかという気がする。
創作能力が未成熟のまま量産する訓練をすれば、その時点で安易に書ける低水準の作品で安定してしまう懸念がある。そういう同人誌作家も思い当たらないではない。

散歩をしていると、多くのジョギンガーを目にする。美しい洗練されたフォームで走っている人は陸上選手なのだろうと一目でわかる。競技として走っているわけではない多くのジョギンガーは我流のフォームでそれぞれのペースで走っているものだ。中には妙ちくりんなフォームの人もいるが、走り続けている人は「悪いフォーム」であってもそれなりに安定していて、昨日今日走り始めた人とは一見して区別がつく。たくさん走り続けているからフォームが美しくなるというものではないのだ。
創作作品についても、同様のことがいえると思う。たくさん書いているから巧くなるということはない。悪いフォームを安定させるだけ──というケースもおそらく多いのではないかという気がするのである。

 

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